その朝、私は目標を持って病院の門をくぐりました。
カナダに来て、一月が経ち、単独でのボランティアが始まるのです。
行き先は、終末緩和ケア部門です。全く勝手のわからない病院で、頼れる先輩がいないので、ドキドキしていました。
私にはしっかりした目標がありました。「聞こえた通りオウム返しするのだ!」という。
実は、前回ショックを受けていました。患者さんやご家族の言っていることが聞き取れなかったのです。
私が接するのは、終末期の患者さん。聞き取れなければ、全くの役立たずです。
だから、惨めで不格好なのは承知の上で、「私には英語が聞き取れない」という現状からスタートするしかなかったのです。
「みんな最初は初心者なんだから!」と、自分を慰め、奮い立たせます。心臓の音が聞こえます。
恐る恐るドアをノックしました。
そこには、陰気な病院の寝巻きの上に、明るい花模様のガウンを羽織り、明るい空色の帽子をかぶった初老の女性が、ベッドの背に身体をもたせかけていました。
ほっとしました。おしゃれで明るい方みたい!
簡単に自己紹介した後、言いました。
“How are you today?” (お加減いかがですか?)
紋切り型の質問にカロリナ(仮名)は口をとがらせ、膨れっ面で答えます。
“How can I feel good. I’m in hospital!” (入院してるんだから、気分がいいわけないじゃない)
南米出身のカロリナの英語は、訛りが少なく、分かり易くてほっとします。聞こえたと思う通り、くり返してみました。
“You are not feeling well because you are in hospital.”
“Yeah, of course not. That’s why I’m in hospital”. (その通り。気分悪いわよ、だから入院してるんじゃない)
ああ、よかった!ちゃんと聞けてた!
膨れっ面のまま、カロリナは、入院生活について話し始めました。
食事が口に合わない、薬のせいで美味しくない、髪が抜けて気が滅入る、身体がだるい、など、不平不満を並べ立てました。
私の方はというと、全身を耳にして聴きいた後、確認のために繰り返しました。
約四十分。
夫のビル(仮名)が戻ってきました。カロリナは嬉しそうに言いました。
“Hi Bill. Let me introduce Naoko, my best friend in life.”
(おかえり、ビル。紹介するね。ここにいるNaokoは生涯最高の友達なの)
エッ?!
私には何のことやら見当がつきません。カロリナはニコニコしています。
“That’s great. I am Bill, Carolina’s husband. I am very glad she has you.”
(それはよかった。夫のビルです。あなたがいてくれて嬉しいです)
ビルは力一杯私の手を握りました。
私は、相手の話を聴き取る練習に努めただけです。
なのに、初対面で「生涯最高の友」の座を射止めてしまっていました。
後で知ったのですが、オウム返しは、積極的傾聴と呼ばれるものだそうです。
それはともかく、これは私にとって初心者のツキでした。
以来二十六年、今に至るまでこの緩和ケアでボランティアを続けています。