2018年3月7日、Facebookに次のような書き込みをしました。
『天使さん、
既にお知りおきとは思いますが、20年前に交わした約束を果たすことができたことを、喜びと共に報告します。まだ日本にいた頃、あなたは私に「自身のことを英語で書く」よう要請しました。何を書くのか、何故なのか、どう書くのか、何もわかりませんでしたが、その要請を受け入れました。
書き進むにつれ、人生がバラバラになっていき、ふと気がつけば、第一部の完成原稿を手に、モントリオールに降り立っていました。生きるため、慣れるための戦いの毎日の始まりです。
第二部を書かなければいけないのは承知していましたが、この新しい旅がどこにつながるのかわからないため、続けることはできません。ただ辛抱強く一日一日を生きるだけです。
でも20年経った今、ようやく書きあがりました。
仕上がったばかりの『マクトゥーブ:ふるさとへの旅』、どうぞお受け取りください』
ちょうど、インテグラルタイチのクラスに出かける直前でした。参加者がやって来ると、そのうちの一人が「その本は読めるのですか?」と尋ねるではありませんか。驚きました。だって書き込んだのはわずか40分ほど前のこと、しかも、尋ねた人の名前がAngi だったからです。「出版されたら、ね。でもいつになるかわかりません」と言いました。みんなはDonna の方を向き、口々に言います。「彼女なら校正してくれるわよ。引退する前はエディターしていたから」私の驚きは膨らみます。こんなにすぐにエディターになってくれそうな人が現れるなんて。しかも彼女は日系のアメリカ人だから、私の経験してきたことに共感を持ってくれる可能性のある数少ない人!
私の原稿は転送され、Donna の素晴らしい優しい有能な手の中に移されました。彼女は忙しいのに時間をとって、丁寧に原稿に目を通してくれました。夏になる頃には私のデータとしてのファイルは、赤のインクの書き込みがそこここに見られる、分厚い二つの紙束になって戻ってきました。今度は私がそれに目を通して、原稿を磨く番です。
原稿と格闘しているとき、インテグラルタイチの先輩インストラクターのPamela が、11月初めにある乳がんのサバイバーのためのリトリートに誘ってくれました。この週末のリトリートは、Facebook を通して募集された、乳がんのサバイバーとしてノミネートされた人達から、抽選で10名にプレゼントされる素晴らしい集いでした。彼女はそこでインテグラルタイチのクラスをボランティアとして提供して欲しいと頼まれていたのです。
私たちは湖に面したこじんまりした綺麗なホテルに着きました。窓から見える雪景色は息をのむほどでした。季節外れの深い雪に、日常の騒音はかき消されていました。
参加者達は全身のマッサージを受け、エステで顔のお手入れをしてもらい、ヨーガやインテグラルタイチのクラスで身体を動かし、同じくボランティアで来ているプロの料理人がその場で調理するおいしい食事を味わい、ボディケアに関する専門家のレクチャーを受け、セレモニーをし、同じ体験をした人同士のシェアリングをしたり、音楽に合わせてダンスをしたりしていました。涙、笑い、喜び、平和、生への祝福が満ち溢れていました。
Pamela と私は、参加者の邪魔をしないよう、ほとんどの時間自分たちの部屋で友情を深め、エクササイズと食事の時に、参加者に合流しました。
土曜日の夕方、喜びに溢れたディナーがありました。食事が終わると、軽快なギリシャの音楽に合わせて大勢がダンスを始めました。Pamela は参加者の一人と話し込んでいて、私は少し離れたところに座ってそれを聞いていました。と、見知らぬ女性が一人会場にやってきました。参加者の多くを知っているような感じでした。私が一人でいたのと、白人の中でアジア人の顔をしているので目立ったのか、その人は私のところにやって来ると、なぜカナダにきたの?と尋ねました。
「20年ほど前にスコットランドへ行って、天使に会ったんです。その天使が私自身のことを英語で書けと命じて。書き始めたら、人生がひっくり返って、カナダに来ていたんです。つい最近、本を仕上げました」
それを聞くと、彼女は私の手を掴んで、ダイニングエリアにいた参加者のところへ連れて行きました。「聞いて、この人、本を書いたのよ」と、私の話をかいつまんで伝えた後、「あなたの友達に紹介してあげてよ」と言いました。「もちろんよ」とその人は微笑みました。「私には古い友達がいてね、もう35年くらいになるかしら。家族ぐるみでとても親しくしているの。私がここにいるのは彼女のおかげなのよ、彼女が私を、彼女の知っているサバイバーとして指名したから。その人ね、出版のコーチなの。月曜に電話して。これが彼女の電話番号よ」
!!!!!
月曜の朝、私はナーバスになりました。全く知らない人にどうやって自己紹介すればいいのだろう、と。でも電話すると約束したので、おっかなびっくりキャロラインに電話しました。「ナオコです」
「あら、ナオコさんね!お電話、待ってたのよ」私が電話する5分前に、私を紹介するメッセージが入っていたのでした。
その頃、私は高野山で2019年秋に行われる予定の、大きなプロジェクトにかかりっきりになっていました。それは1200年の伝統をもつ高野山真言宗と、アメリカに基盤を置く仏教団体 Compassionate Service Society との、World Peace Gathering という史上初の合同行事を準備することでした。CSSは300人の代表団を送る予定でした。私はCSSを代表してその準備にあたっていただけでなく、日米双方にとって日本語と英語を話せる唯一の人間でした。だから、当時の私には、私的な事柄・・自分の本を出版すること・・に使える時間は、文字通り全くありませんでした。
キャロラインは、すでに仕上がった原稿があることを喜びました。そして、スケジュール表を作って、発売日を2019年6月27日に設定しました。彼女にとってそれは達成可能な現実的な目標だったものの、私には全く非現実的としか感じられません。彼女は必要なステップを書き出して、一週間に一つずつ果たすべき任務をくれました。このウェブサイトに行って著作権を取る、とか、ISBN を取る、とかいう風に。だから、気づかないうちに、物事がしっかり動き始めました。そのうち、彼女の専属エディターから、再度徹底した校正を受けることになり、彼女のデザイナーが、素晴らしい表紙を作ってくれました。
私はしばしば日本に行き、長く滞在することもありました。3月に日本に帰国した際、プロの写真家として活躍している、以前の勤務校の卒業生にポートレートを撮ってもらいました。その日メールでファイルをカナダに送ると、翌日には写真が本の裏表紙を飾っていました。
私は与えられた小さな任務を、まるでロボットのように何も考えずに機械的にこなしていました。キャロラインは全体像を見ていて、大きな目標に至る道路標識をくれました。私は史上初の大イベントの実現に向けて懸命だったので、エネルギーも時間も、意思力もそのために使い果たされ、私的なプロジェクトに残されたものは5%に満たないほどでした。彼女から毎週やってくる宿題をこなしてはいましたが、やり終わるとすっかり頭から抜けて行きました。だから、実際に起こっていることを、感じることも信じることもできない状態でした。
5月の初め頃、全体像がようやく明らかになりました。箱が、著者の最終校正用の本が入った箱が送られてきたのです。箱から本を取り出して、見、手に取って、重さを感じました。実際の本です。もう、デジタルのファイルでも、ばらばらの紙に印刷されたものでもありません。本でした、私の名前が印刷された。
一週間後、私はその一冊と、赤ペンと、付箋を沢山手にして、日本に向かう飛行機に乗っていました。最終校正は3人で、Zoom で 3箇所を繋いで行いました。カナダで2箇所、私は僻地の高野山からです。
発売日(6月27日)の2週間前に、カナダに戻りました。キャロラインはFacebook 上で、発売のライブイベントを企画してくれました。
この日が来るなんて一体誰が予測したでしょう?しかも、人生でこれ以上忙しかったことはない、というほどの中で、素早く、手際よく、何の努力もせずに。Facebook に、原稿が完成しました、というメッセージを投稿した日から、わずか15ヶ月後のことです。
天使さん、本を受けとってくださって有難うございます!