『支えきれない重荷は与えられない』という一言は、私の癒しの旅をずっと支え続けてくれた言葉です。
この言葉を聞いたのは13歳か14歳の頃です。思春期特有の揺れる気持ちを体験していたのですが、その落ち着かない感情の底には幼年期の問題が影響していることには気づいていませんでした。
ある日のこと、クラス担任だった日本人のシスターが言いました。いつ言ったのか、どんな状況で言ったのか思い出せません。その言葉以外何も覚えていないのです。
『背負いきれない重荷が与えられることはありません』
「フーン、そうなの?」というのが私の反応でした。特に心に触れたわけでも、納得したわけでもありません。そんな考え方もあるんだ、と感じただけで、しばらくすると頭から消えていました。
けれども、忘れてしまったわけではありませんでした。
数年後、幼年期の問題が吹き出してきて、立ち込めた霧のような自己嫌悪に襲われるようになりました。気分がすぐれず、混乱し、途方に暮れ、居場所がないと感じ、その上、心の安らぎを期待できそうにもなくて、失望していた時、どこからともなく囁く声がしました。『背負いきれない荷物が与えられることはないのよ』
「ということは、これ、背負っていけるわけ?!」衝撃でした。
それ以来、行き詰まってしまった時には、必ずこの言葉が繰り返し聞こえてきました。障害が超えられないそうだと感じる時には、『とても難しい試練が来ましたね。それは、超えられるからですよ』という風に拡大され、苦難の中でも自分のことを楽観的に見ることができるようにしてくれました。
今思うと、私はいつも、きっちり背負えるだけの荷物を背負っていました。重すぎでも軽すぎでもなく、頑張れば背負い切れる、まさにピッタリの重さの荷物でした。
この言葉は、私が欲しいと思っていた容易い逃げ道や解決法を与えてくれたことは決してありません。けれど、直面している苦難を打破するために必要な、受容し、忍耐し、不屈の努力をする力を与えてくれました。
この言葉は、ずっと一緒に歩んできた、信頼できる旅のお供です。
もし、荷物が重すぎると感じている方がおられるなら、試してみてはいかがでしょう?そっとご自分に囁いてみてください。『背負いきれない重荷が与えられることはありませんよ』
これは多分シスター堤(ヨハンナ)が言われた言葉ですね。私は先生からこの言葉を教わって、以来、辛い時に思い出し、「そうだ、そうだ。まだやれる。まだ、私のキャパを越えてはいないのだ」と思って生きて来ました。これまで頑張れたのも、この言葉を教わったおかげです!