その週の患者さんのリストには、二人の名前が追加されていました。どちらも50代の白人女性で、廊下を挟んだ両側の病室におられました。ナース達は私が来たのを知ると、「左側の部屋の患者さんに足のマッサージをしてあげて。私たちみんな彼女のことをとても心配しているの」と言いました。どうやら、突然「終末緩和ケアフロア」に移されたことで、彼女は気落ちして心を閉ざしてしまったようでした。
スタッフは集まって、どうすればこの患者さんの助けになれるか・・身体面、心理面、情緒面、精神面の全てで・・を時間をかけて話し合いました。どうすれば、このフロアに来たことから来るショックやストレスや恐怖を和らげ、少しでも穏やかにしてあげられるか、と。様々なことを試してみたものの、何をやってもうまくいかなかったようでした。
私はドアをノックしました。返事はありません。患者さんはドアに背を向け、丸くなって、枕に頭を沈めて、ブランケットで覆っていました。メッセージは明らかでした。「どうせ私は死ぬだけよ、だから放っておいてちょうだい。希望なんてないのよ」
私は優しく、フットマッサージはいかがですか?と声をかけましたが、要りません、とピシャリと断られました。彼女は、見舞客はおろか、医師やナースの世話も受けたくないようでした。廊下の向かい側の患者さんが、何に対してもオープンで、見舞客を歓迎し、時には嬉しそうにさえしているので、まるで正反対の、閉鎖的、絶望的でふてくされたような態度は、フロアにいるすべての人たちを心配させていました。
彼女が転送されてきた、以前のフロアで働くソーシャルワーカーが、フォローアップのために緩和ケアにやってきました。この事態を予測していたようで、どうすれば彼女の役に立つことができるか探りにきたようです。彼は、医師にも、ナース達にも、お掃除の人や、ボランティアにまで、彼女が何かの信仰を持っているか、或いは全く無信仰なのかを尋ね回りました。彼女の助けになる糸口をなんとか掴もうと、みんなに協力を求めたのです。
しばらくして、誰かが遂に情報を手に入れました。「あの患者さんは、宗教を信じていない。クリスチャンでもない(カトリックでもプロテスタントでも、その他のキリスト教の宗派でもない)ユダヤ教でもイスラム教でも仏教でもない。でも、どうやら一つだけ信じているものがあって、それは、千手観音のようだ」ソーシャルワーカーはこの情報を歓迎し、彼女の病室に向かいました。
病室に向かう彼に廊下ですれ違ったとき、彼は手を見せてくれ、と言いました。「ああ、あなたは神の手をしている」という言葉に私は驚きました。「病室のそばでスタンバイしていて。後で呼ぶから」彼はそう言って微笑むと、病室に入っていきました。
1時間ほどたってから、彼は出てきました。にっこり笑って私に言いました。「さあ、あなたがマッサージをする番ですよ。彼女に、千手観音の手のうちの一つを持ってる人を知ってる、と言ったから」
一度きっぱり断られているので、恐る恐るマッサージはいかがですか?と言いました。彼女はうなずいて目を閉じました。私は彼女の足元のブランケットをめくって、足をタオルで覆い、人肌のオイルを手に落として、彼女の足を優しくさすり始めました。彼女の身体は次第にゆっくりとベッドに沈んでいきます。ほっとした私は、持てる愛を込めて手を動かし続けました。
片足を終え、その足をタオルで覆います。すると、彼女は目を開けて言いました。「あなた、天から落ちてきた妖精ね」私は心を打たれ、光栄に感じました。
もう一方の足のマッサージの際には、彼女はもっとリラックスしていました。終わったとき、彼女は心持ち微笑んで、再び同じセリフを口にしました。「あなた、天から落ちてきた妖精ね」そして、身体を深く沈めました。
彼女が眠れるように、私はそうっと静かに部屋を後にしました。心にあたたかさが広がっています。
それは、彼女への最初で最後のマッサージでした。翌週から私はしばらく休暇を取っていて、二、三週間後に戻ってみると、彼女はもう旅立っていたからです。
ボランティアコーディネーターから、彼女がその日以来変わった、と聞きました。周りの世界に心を開いて、治療も受け入れ、ボランティアの訪問も歓迎するようになった。みんなから愛され、彼女も注がれる愛に応えるようになった。そしてとても平和に旅だった、と。
私はとても嬉しくなりました。光栄に感じました。彼女に安らぎをもたらすことができたからではありません。自分が、心から患者さんのことを思い、愛し、患者さんの痛みや苦しみを少しでも楽にできる、どんな小さなきっかけでも探そうと懸命に努力を重ねる、献身的な人たちのチームの一員であることを。私のごく普通の手を、より高いものを伝え、運ぶ手だてに変えてくれたソーシャルワーカーに感謝しています。