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ごく幼い頃、彼女は、自分の「直子」という名前は、両親によってつけられたのではなく、見ず知らずの他人から偶然与えられたことを知りました。父親は名前をつけるのを拒み、母親から与えられた名前は、当時の役所で拒否され、別の漢字に置き換えられたのです。だから、「じゃあ、私は誰なの?私の名前・人生の意味はなに?」という疑問が生まれ、次第に大きくなっていきました。

この問いかけは、父親と、一緒に暮らしていたアルコール依存症の息子(つまり半分血の繋がった兄)の両方から絶え間なくふるわれた暴力のため、彼女の頭から離れないものになりました。母親は、毎日起こる暴力から、全く守ってくれませんでした。

大学入学後、アイデンティティと人生の意義への断固とした探求が始まりました。それは彼女を、光とは正反対のどん底へと導きます。彼女はどんどん混乱の中に転落してゆき、ついには自殺を図り、次に、卒業式の二日前には殺人を犯すに至りました。(中絶)

人生の門出になるべき卒業式に、彼女は、圧倒的な挫折感と、ぞっとする恐怖に打ちのめされて座っていました。罪悪感、喪失感だけでなく、それら全ての背後にある理由のためです。自分には人を愛することができないのだ、とわかったのです。

真っ暗闇の中で、彼女は、どんなことをしてでも愛することを学んでやる、と固く決意します。

そこで、彼女は親元から離れ、のちに夫となる指導者に助けられながら自分を探す長い旅に出ました。

彼は、彼女が自分自身の闇を真っ向から見つめなければならない状況を作り出しました。言い訳も、目をそらすこともできない状況を。15年間彼女は真っ暗闇のどん底で、のたうちまわりました。多勢のディーモン達にしつこくつけ狙われ、死と狂気の瀬戸際まで追い詰められます・・死の前兆と言われるドッペルゲンガー(二重身)が出現し、2度目の自殺を試みるところまで。

ディーモンとの戦いに敗れた彼女は、一生涯、闇の中で暮らす運命を受け入れないわけにはいかなくなりました。ところが驚いたことに、渋々でも自分の闇を受け入れたことで、両親はじめその他の人たちの中にも同じ傷、同じ闇があることに気づくようになりました。こうして、彼女は、父親が本当は名前をつけることができなかったことを、母親が彼女の面倒を見ることができなかったことを理解するに至りました。両親も彼女同様、愛することができなかったのです!

大きな恵みが人生に流れ込むようになりました。彼女は、両親を親としてではなく、自分と同じ人間同士として認めるようになりました。人生に関わってくれる人たちは、彼女に次々と癒しをもたらしてくれます。彼女は全てに心から感謝するようになりました。幼い頃に受けた深い傷の痕跡がもう見つからなくなっていたのです。

1997年にスコットランドを訪れた時、思いがけず天使に出会い、自分のことを英語で書くようにと、強く要請されました。書き始めたところ、彼女の人生が根底からひっくり返りました。それまで愛着をもっていたものが、一つ一つ消えて行ったのです。結婚、それまでずっと過ごした両親の家、当時夫と暮らしていた家、大好きだった仕事、そして最後には、それまでの人生を過ごした祖国まで。書き始めて18ヶ月後、彼女はスーツケース一つを持って、書き上げた原稿(後日『マクトゥーブ ふるさとへの旅』の第一部になる)を手に、カナダのモントリオールに降り立っていました。

初めての外国暮らしはとても大変でした。カナダには、新しい夫となった人以外、知り合いはも一人いません。二つの外国語、異文化、馴染みのない食べ物、環境、ありとあらゆる異質なものの中で、なんとか生きていき、そこに溶け込まなければなりません。50歳で、何もできない無力な赤ん坊に逆戻りでした。

彼女は、みんなが世の中で普通にしていることができませんでした。思いを英語で表すことも、他の人の言っていることを理解することも、気持ちをわかってもらうこともできません。なぜカナダにいるのか、この先どうなっていくのかも皆目分かりません。だから必死になって、起こっていることの意味や、新しい自分を探して、自分の内側を見つめ続けました。遠くにかすかな光が見えるまで10年ほど。

今、彼女は、新しい国での体験が自分の視野を大きく広げてくれたことをはっきり認識しています。いろいろな苦労のおかげで強くなり、洞察力も深まりました。日本では思いも及ばないような日常の出来事や、様々な人との出会いは、さらに深いレベルで彼女を癒し続けてくれています。

新しい国での生活には、今もかなりの努力が必要ですが、やって来るものを全て丸ごと感謝して受け入れています。

癒しの旅はこれからも続いていきます。