私には、目の前にあるものが、ある通りに見えたことはただの一度もなかった、とわかった時、大地を揺るがすほどのショックを受けました。私は、物をありのまま見たことがなかったのです。
この認識は、私が意識して癒しの道を歩み始めて14年程経った頃にやってきました。そのとき私は36歳になっており、幼少期の問題の一つを生まれて初めて打破した直後のことでした。母にまつわる問題でした。分厚いベールが上げられたので、それまで私を取り巻いていた、命をもたない灰色の世界がほんの少し明るくなり、色彩も少し現れてきたところでした。
この重要な出来事は夏休み中に起こりました。休み明け、新たな気持ちで教壇に戻り、講義の続きを開始しました。前期からお馴染みになっている学生たちの顔を見廻すと、見たことのない顔がいくつかありました。
そんなはずはないわ!これは通年科目なんだから!そこで出席を取り、注意深く新入り学生の顔を名前と結びつけました。名前は全部、記憶にありました、新入りさんの名前も。それまで出席を取る時には、いつも意識して学生の顔を見ようとしてきた私は、ショックを受けました。
しっかり見てきたものが、なぜ見えていないのだろう?
私は新しい顔をしばらくの間注意深く観察しました。そして、新顔の持ち主は、何某かの理由で授業に積極的に参加していない学生たちだと気づくようになりました。授業中にぼんやりしていたり、全く聞いていなかったり、欠席がちだったり。そういう学生たちを、私は自分の世界から除外していたに違いありません。
けれど、自分の問題を突破していたおかげで、その学生たちを取り戻すことができました。彼らの態度は、彼ら自身が抱えている問題の反映に過ぎない、と気づくに至ったのです。学生たちは別のことに心を奪われていたに過ぎないのです。家族の誰かが病気なのかも知れない。本人が心身ともに落ち込んでいるのかも。何を心に抱え込んでいるのかわからないじゃない!
かく言う私も、彼らの態度が、気づいて欲しいというサインだと受け取ることができませんでした。そして自分に都合の良いように、勝手に彼らに「問題学生」というレッテルを貼っていたのです。彼らが見えなかった背景は何だったのでしょう?私は何に気を取られていたのでしょう?
しばらく経って、気がつきました。それは、彼らの態度が私の心に引き起こす不安に直面できなかったからだ、と言うことでした。学生たちは、私自身の心の痛みを映し出す鏡だったのです。痛みは自分のものと受け取るには大きすぎたので、押し殺す必要がありました。私は彼らの顔をしっかり見たけれど、自分の世界からは除外しました。どうしても傷を思い出してしまうからです。それを受け止める準備ができていなかったのです。
自身の問題を突破したことに助けられ、私は心の底に抑圧した傷を見ることができました。それによって、学生たち全員の顔も見えるようになりました。
貴重な学びでした。目を向けていても、私たちには、ありのままの世界が見えているのではない、ということ。自分に見ることができるものだけが見え、しかも、自分が望むように見えていること。同じ景色を十人の人が見ると、十通りの見え方があるのだ、ということ。
「自分に見ることだけが見え、しかも自分が望むように見えている」これはなかなか気づけないですが、本当のことだと思います。私には「見ること」に関する経験はありませんが、「聴く」ことではしょっちゅう思い知らされて来ました。よくピアノの先生は「弾きながらでも自分が出す音に集中して、客観的に聴きなさい」と言われました。チェロでも、そうです。「弾きながらでも、まるで他人が弾いているものを聴く姿勢で聴き、演奏する」ある程度曲が仕上がってきたら、それを要求されます。確かに、その要求は正しい。しかし、より客観的に聴くために録音してみると、録音機から聞こえてくる「音」は私が弾きながら聴いている音とは明らかに異なり、いつも愕然とします。「こんな風には弾いていない。なのに、この音は何?聴く人にはこんな風に聴こえているの?」 こんな風に聞こえるように、と弾き、自分には確かにそう聞こえていても、本当に出ている音は自分が出せていると思っている音とはかけ離れている。私の場合は日々それの連続です。
ブログの内容からはかなり逸脱したコメントですが、自分の場合と重ねて書いてみました。