癒しは、期待に反して、一夜にして起こるようなものではありません。シフトが起こるには、内面をじっくり見つめて、根源の原因を探さなければなりません。病気と同じく、治るまでに時間と忍耐が必要です。時には何年も何十年もかかることさえあります。
その間には、何も起こらないように感じるので、私たちは失望したり、苛ついたり、忍耐を失ったり、落胆したりします。
私はごく幼い頃から、両親の愛を感じられませんでした。いつもどこか違う、と感じていました。だから、幼稚園の先生から「神様はお父さんで、私たちを愛しています」と教えられた時、戸惑いました。母が「子供を愛さないような母親はいない」と私に言った時、母を完全に信じることはできませんでした。
通っていたカトリックの高等学校では、『愛』は人生にとって不可欠要件でした。優等生だった私は、修道女たちが言うことは何でも信じました。が、愛する将来の夫や家族を想像してごらんなさい、という課題は、私にとって全く履行不能な作業でした。
そして、22歳の時、中絶をしました。中絶したのは自分に愛する能力がないためだった、と認識して打ちのめされました。自分を呪い、愛することを学んでみせる、と決意しました。私の癒しの旅はこうして始まりました。
それほど崇高な目標を達成するには、一回の人生では足りないかもしれないと思いました。私の現状は、目標から離れすぎていたからです。予想通り、私の進歩はとても、とても遅いものでした。
「愛することを学んでみせる」それは確かに素晴らしいのですが、そもそも愛とは一体何なのでしょう?どうすればそこに近づけるのでしょう?
ありのままの自分を愛してもらったことがなかったので、私には自分が目指しているものをはっきりと描くことができませんでした。好きだという感じが愛だと思ったので、あちらこちらにそれを求めましたが、全く役に立ちません。10年以上真っ暗な穴のどん底で、同じところをぐるぐる巡って過ごしました。
ある日のこと、『愛はアートである』という言葉が心の琴線に触れました。あら!愛ってアートなの!生まれつき備わっているものじゃなく、時間をかけてコツコツと育み、完成させていくアートなの!生まれつきだとしたら、そんなもの私には備わっていない。でも、アートだというなら、ゼロからでも、どれだけ時間がかかっても、育み養い始められるわ。
エリッヒ・フロムの言葉のおかげで、私は新しいエネルギーや勇気や希望やインスピレーションに満たされ、更に4年間じっくり取り組んで、最初のブレークスルー(突破口)を達成しました。頭の中にしっかりした理解があったおかげで、不毛の堂々巡りから抜け出し、前進し、上昇することができました。
ブレークスルーが起こる時、私たちはトラウマを起こした場所(=根本原因)を訪れ、その辛い感情を再体験します。そして、その辛さを十分に体験し、解放すると(カタルシスと呼ばれる過程)シフト/癒しが完了します。
一生涯続く癒しの旅の中で最も時間を要するのは、最初のブレークスルーに達するまでです。その後は、次第に容易くなり、時間もかからなくなります。一つの洞察が次の洞察につながり、一度体験したことが次の体験をやり過ごす手助けとなるからです。癒しは人間としての成長をもたらしてくれる、非常にやりがいのある旅です。
私がこの旅を始めたのは、ただ心の痛みから逃れたい一心からでした。でも旅を続けるにつれ、トラウマは、実は、私たちを際限のない宝庫に導いてくれることに気づき始めました。心に受けた傷は、私たちを成長させ、平和にし、自分だけでなく、他者への理解や愛をもたらしてくれます。
この道を歩いた先輩からのこのシェアリングが、隠された宝庫へ向かうあなたの旅の道連れやお手伝いになることを願っています。