路上での激怒やガミガミ言う母親へのむかつきと同様、否定的な感情は、ほとんどの場合、自動的に反応として起こります。私たちはそのことに気づかず、反応が自分の本当に感じていることだと思って、それに対処しようとします。
けれども、それは反応に過ぎないので、根本原因を処理しない限り、種はどんどん反応を芽吹かせます。私たちが(1)路上での激怒は、勝ちたいという強い願望(種)から起こっていることを理解し、(2)その願望が起こる源、つまり根本原因を見つけ出すことができると、誘発されて反応することから解放されます。
私は以前ひどい乗り物酔い持ちでした。幼稚園の先生に初めてブランコに乗せられたとき、気分が悪くなりました。両親と一緒に電車やバスで外出すると、必ず嘔吐しました。大人になってからは、車や船や飛行機に乗る前には、必ず酔い止め薬を飲まなければどうしようもありませんでした。薬は私の旅仲間でした。
自分をなんとかしようと意識して取り組んでいた30代前半のある日、ふとこんなことが心に浮かびました。『飛行機で、地球の外に連れて行かれることって絶対にないんだわ。どこか知らない場所に着陸することはあっても、それは地球上のどこか!私は、地球上に居続ける!じゃあ、なんとか生きていける!』
『ふーむ?!あら、そうだったんだ!』そして、大笑いしました。
吐き気を催すほど気分が悪くなったのは、実際には、知らない場所に連れて行かれたり、信頼できない人たちに対処しなければならないことへの恐怖のためだったのだとわかりました。『死んじゃうかもしれない』という恐怖から気分が悪くなっていたのです。乗り物の動きからではなく!でも不快な症状を抑える方にばかり懸命になっていたので、症状が付きまとい続けたと言うわけです。
この思いが浮かんだ時、もう二度と乗り物酔いすることはないと確信しました。それで、長い付き合いの旅仲間の酔い止め薬と訣別することにしました。その日以来、私はいつも「一人旅」をしています。極めてくねくねした道とか、荒れ狂う海とか、乱暴な運転手に出会うことさえなければ、気分が悪くなることはありません。もう過剰反応しなくなりました。
しばらくすると、症状を生み出していた状況に関して、より深い理解ができるようになりました。私は幼稚園の先生が嫌いでした。両親に対しては怯えていて、一緒にいるといつも不安になりました。信頼できないので、自分の生存が危機に晒されていると感じてしまったのです。
その後、その理解を裏付けるかのように、例外があったことを思い出しました。スクールバスです。遠足などで貸切バスに乗ると酔い止め薬が必要なのに、スクールバスで酔ったことは一度もありませんでした。学校も運転手さんも大好きだった上、通学途中で知らない人に会うことがなかったからです。
この大切な手がかりに早く気づいていれば、もっと早くに車酔いから解放されていたでしょう。でも、根本原因から現れる不愉快な症状は猛烈に強く、私の関心はその虜になってしまい、はっきりしたサインさえ見逃したのです。
その上、囚われれば囚われるほど、症状は強くなり、長引いていきました。
でも、私が根本原因を突き止めた途端に、大きな変化が起こりました。「一生涯続くと思われた慢性疾患」に関しても。
おっしゃること、すごくよく分かります!