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マクトゥーブ ふるさとへの旅

光は自らを解放する

マクトゥーブ ふるさとへの旅

名前はその人のアイデンティティです。が、著者には名前がありませんでした。出生届を出したとき、その名前は役場で拒否され、別の名前が暫定的に与えられました。著者はその名前を自分として生きてきました。このことが、本当の自分を見出すための生涯をかけた断固とした探究に駆り出しました。『マクトゥーブ:ふるさとへの旅』は著者の長い癒しの旅の回想録です。祖国日本で体験した拒絶、暴力、情緒的放置、自己否定、疎外、狂気などを癒す長い旅の。人生の後半になって移住したカナダで直面した新しい試練は、癒しと洞察を深めました。内なる光は、どれほど深く閉じ込められていても、自らを解放する道を見つけるものだということを著者は読者にシェアしています。

ナカジマ ナオコ

ナオコ ナカジマ – 水野 真澄 撮影

『マクトゥーブ ふるさとへの旅』抜粋

第一部 日本 第5章 「ガイド」 より

もう許しは請うまい。自分自身を抹殺することで、命をもうひとつ奪うこともすまい。このことから目をそらしたり、暗闇から逃れようとせず、そのただなかに生き続けるのだ。暗闇を胸に抱きしめ、それをとことん味わおう。なぜなら、それこそが、私の奪った命が残してくれた唯一のものだから。私にできることはそれ以外にはあるまい。命が与えられたのに、私はそれを奪った。愛することができないために。だから、愛することを学ぶのだ。自分自身を見出し、いつの日か必ず、愛することを学んでみせる。

けれども、それは途方もないことだった。運悪く、ちょうど「私」は無に過ぎないと発見したばかりだった。そして、物質的な私、つまり私の肉体は、土と肉欲からできていて、中身は空っぽだと・・・。さらに悪いことには、私は殺人を犯した呪われた罪人だ。人を愛する能力すらない。どこを向いても希望などなさそうだった。でも、その現実を生きる以外に、方法はないように思えた。

第二部 推移 第17章 「大変動」 より

電車は空港に到着した。これが日本で過ごす最後の数時間になる。私は、『マクトゥーブ』に関する資料で半分一杯になっているスーツケースを持って、一人でそこにいた。手には、プリントアウトした本を一部持っていた。ずっとその瞬間まで、『マクトゥーブ』に導かれてきたことを思い、畏れ多い気持ちと感謝の気持ちが心から溢れ出した。まず、神は私に生きる内容を与え、次にそれについて書くように、と命じた。それは深い癒しになった。次に、それらを一掃した。今私は、最後に残ったもの―祖国―を後にしようとしている。五十歳だった。人生の折り返し点を過ぎ、私はこれから現れる、まだ明らかになっていない章に不安を感じてもいた。神の祝福を祈った。

第三部 カナダ 第23章 「朝の陽ざし」より

ああ、私の人生に登場する役者が勢揃いしている!さまざまな感情が内側で渦巻いた。心地よいものも、不快なものも。

次の瞬間、時間が消えた!時間のない場所で、私はあたたかで、まばゆい光の中にいた。絶対的で、限りがなく、全宇宙とそれを超えるものを満たしている無限の光の中に。

在るもののすべて ありてあるもの

抗しがたい畏敬の念に打たれ、とっさに「それ」にひれ伏した。それは、絶対的な威厳ある威光、力、あたたかさに触れた際、人間の取りうる唯一の可能な、自動的な、自然な行動だった。

次に私はさらに大きな驚きと畏れに心を奪われた。私はその「絶対的なるもの」の前にひれ伏しているが、同時に私はひれ伏されるものでもあったのだ!!!全く同時に!私は主体であり、客体だった。 これか、それ、というのではなかった。私は絶対的な光の前にいるのでも、光の一部でもなかった。私は光そのものだった。

Thanh Van さんからの推薦のことば

素晴らしい旅

ナオコナカジマは勇敢にも心を開いて、読者に彼女自身の人生を語ってくれます。
この本を通して、彼女は数々の苦難を通して得た強さと知恵を読者にシェアしています。
その人生の物語や考え方は、必ず読者を魅了し、読者が自分の人生について深く考える機会となることでしょう。