私に転機が訪れたのは、どん底にぶち当たった、22歳になったばかりの時でした。
全ての価値観が確立されていて、それに従いさえすればよかったカトリック校で中高時代を過ごした私は、自分の頭で考える習慣も能力も開発してきませんでした。良い子で、よく勉強し、規則に従う模範生でした。
だから、入学式のために大学のキャンパスに足を踏み入れた途端に、その高いツケを支払うことになりました。自分が崩壊していくだろう、とわかったのです。そして、ものの見事にバラバラになりました。
大学の4年間、ひどくなる一方の同一性障害(自分が誰だかわからなくなる障害)に苦しみ、挙句、自殺を図るに至りました。そして卒業式直前には中絶をしました。
罪悪感と喪失感でズタズタになりました。未遂に終わった自殺に至った未解決の問題が、心の痛みの上に更にふりかかります。真っ暗闇の中で、全く何も見えませんでした。
なんとか逃れよう、出口を探そうと必死に探しましたが、無駄でした。引き返すことも、逃げることもできません。逃げ道など全くありません。
闇をじっと見据え、その中に踏み込んで、闇を生きる以外、選択肢はありませんでした。
「命が与えられたのに、私はそれを奪った。愛することができないために。だから愛することを学ぶのだ。自分自身を見出し、いつの日か必ず、愛することを学んでみせる」(『マクトゥーブ:ふるさとへの旅』第五章)
振り返ってみると、これが私の人生を変えていました。「これ」って正確には何でしょう?自分のいるところを受け入れ、自身を変えるのだという決意です。
私は戦いを手放し、抵抗をやめ、敗北状態を受け入れ、そこに身を委ねました。そして、自分を見出し、愛することを学んでみせる、と決意しました。
外側は何一つ変わらないようでした。道は相変わらず危険に満ち、過酷でした。けれども決意したことで人生の流れが変わっていました。新しいドアが開いていたのです。
その瞬間、私は際限のない自己憐憫から抜け出し、癒しと成長の道を歩み始めていたのです。たとえどれほどノロノロしていたり、惨めたらしく見えたにしても。
容易いことではありませんが、どん底でしばらく過ごした後には、深呼吸して自分に言ってみてください。「これは背負える。私は変わってみせる」と。
覚えておいてください。どん底なのですから、それより下はありません。上昇するのみです!
このお話のごく一部を私は共に働いていた時に伺いました。「なぜ大学院に行かれたのですか?」と発した問いに、思いがけない答えが返って来ました。当時私は、院への進学を選ぶか、親が望むように結婚するか迷っていました。ただ、この問いかけは、かなり軽い気持ちででもありました。返ってきた答えがあまりに重大だったので、私は何も言葉を続けることができなくなりました。泣いておられたと思います。
あれから40年程の年月が流れました。どん底を経験され、そこから這い上がるスベを身につけられて、もう怖いものは何もないと思います。
「これは背負える。私は変わってみせる」「上昇あるのみ!」今の私にピッタリの言葉をいただきました。
「この世に偶然は無い。全てが必然であり、起こるべくして、或いは成るべくして成ったこと」 これは私の生きるベースです。今、この時に、更新されたブログに触れることができたのも、決して偶然ではないと思います。もう一度2つのお言葉を噛みしめ、歩んでいきたいと思います。